KRUK-1002
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キャプテンストライダム
1st Album『ブッコロリー』
disc review 湯浅 学
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何とか風のことをスマートにこなしていると
「上手い」と世間の一部から言われることが少なくない。
また、それが”何風か”ということを言い当てたようなことを言うと、
世間の一部から「鋭い指摘」と褒められることも多い。
何とか風の鋭い指摘を上手くやる人というのもいる。
何とか風でなければだめ、というわけではないはずなのに、
それが何とか風だと思えるととりあえず安心するという人もいる。
何とか風であることによって、それと自分との距離が計れることが大事のようだ。
しかし、それは得体が知れない物、人、事象との出合いを遠避けること、
未知との遭遇の楽しみを減らすことになりはしないか。
見切ること、納得することは後でいいではないか、と
『ブッコロリー』を聴いていると思う。
キャプテンストライダムが上手くなくて
鈍くてスマートではない、というのでは決してない。
しかし何とか風であることは別にどうでもいいと思わせる無骨さと
楽しさに勢いがあって気持ちがいい。
意味はいつかやって来るでしょう、というようなゆるさもあるし、
ついついおやじ心がくすぐられるポップなフックが不意打ちを何度も喰らわせる。
何とか風の上になんとか風を重ねてまた別の何とか風のものを作る
何とか風の商社のようなロックだのポップスだのを今さらのように
有り難がる人でさえ、さっと一吹き、いい塩梅にしてしまう
これは天狗の団扇である。
メンバーの永友は好きなものとして ”67年頃のロック”を、水木しげるや
つげ義春や山田風太郎とともに挙げている。
”67年頃”ということは、66年、68年も含まれると考えられる。
年表見て下さい。この3年で、その後のロックの方向は決まったようなものだった。
さらに永友は”グループサウンズ”と”71年頃の日本のフォーク”を挙げている。
何故71年頃か。日本のフォークが借り物から脱却して
新しい歩みを始めたときだったからだと俺は思う。
たとえば遠藤賢司の『満足できるかな』、高田渡の『ごあいさつ』、その他諸々。
フォークではないが、はっぴいえんどの『風街ろまん』も71年作だった。
多量な音に取り囲まれて生きざるをえない今日このごろ、
そんなこと今さら言うなよ、と言うスマートな人もいるでしょうが、
それでもあえて秋のある晴れた日の夕暮、
墓場に突っ立ってカラスが飛びまわる空をながめたり
枯れ葉が風に舞うのを見ていると、
心はいろいろな時代を仮想して揺れたり憂えたり喜んだりする。
虚も実もごちゃまぜだからタフにならざるをえない。
それでこのバンドは天から降って来たのかもしれない。
怪しい物・者に出会うことを楽しみにしていなければ、
こういう詞も曲も生まれないだろう。
粘着力も強いが引き際も所々鮮やかだ。
ギョーザの町宇都宮を本拠にしているからだろうか。
キャプテンストライダムのあやかしの陽気さは、
今後死んでも、何回も生きかえるであろう。
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