KRUK-1000
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キャプテンストライダム
1st maxi single『マウンテン・ア・ゴーゴー』
disc review 湯浅 学
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エレキ・ギターとアンプはシールドでつながっている。だから大きな音が出る。
シールドはエレキ・ギターに血(音)を通わせる血管のようなものだ。ギタリストは暴れるといってもシールドの届く範囲内でしか動き回れない。
人によってはシールドで行動を制限されるのを嫌って、音を無線で飛ばす装置を作ったりする。
ライヴではいつでもどこでも会場の外からギターを弾きながら入場するのが習わしなので常時100メートルのシールドを使用していたアルバート・コリンズというブルースマンもいた。
動きすぎてシールドがスッポ抜けることは割合よくあるが、激しい動きでシールドを引き千切ってしまう人というのは、いないわけではないが、そんなに多いわけではない。
キャプテンストライダムのギターと歌の永友聖也は、その、そんなに多いわけではないシールド引き千切り野郎のひとりである。
過去にもあったというが、ライヴを見に行ったら俺の目の前で引き千切っていた。ハードコア・パンクやデス・メタルのバンドならさぞ暴れるだろうから千切れることもあるだろうと、
みなさんお考えになるでしょう。しかしこのバンドはそういう音楽をやっているわけではない。なぜ永友のシールドは千切れるか。
確かに骨は太めで勢いもいい。ダンサブルであったりもするが、その底にのどかさがある。ハードなのに一緒に輪になって踊れなくもない。
メロディに聴く者を突き放すような小ギレイで冷淡なところなどなく、無頼なわけでもなく、耳残りがソフトで、ところどころくすぐったい。
まろやかだが味はしっかりしている。ポップにもいろいろある。いろいろあるからポップなんだが、これは、開かれていて当たり前の耳を持つ
(メールで影口叩くのがなにより大好きな)キビシーお客さんの足をふと止めさせる力強さと明朗さとなめらかさのある、歯切れのよいポップである。
たとえば70年代に日比谷の野音に足を運んで長髪で雨に打たれながら好むと好まざるとにかかわらず色々な音楽を聴いたことのある
日本のロック・ゾンビ(単なるおやじだが)にとっては、一聴、抜け落ちたはずの髪の毛が生え戻ったような錯覚を覚える。かもしれない。
かもしれないほど、この3人によるツボの押し方は、老若男女にかなり効く。
意味も理由も、音の後からついてくる。そういう爽快感が、このバンドの今後に期待できる。そういう3曲入のCDである。
「おばけナイターのテーマ」を聴きながら、『ゲゲゲの鬼太郎』を読み直したのはいうまでもない。微妙に跳ねる野太いこのビートは和式である。
ごはんとみそ汁と納豆。このトリオこそ日本人の基本であることを改めて考えさせるキャプテンストライダム(栃木在住)である。
エレキ・ギターに伝わる血潮がシールドの伝える電気料を上まわることがある、だから永友のシールドは千切れてしまうのである。
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