『海の近くに住んでいる』
執筆:伊藤ガビン
海の近くに住んでいる。
玄関から海岸まで、だいたい徒歩で2〜3分。
終電の座席からベリベリっと体を引き剥がして、ぶらぶらと家へと帰るとき潮の匂いを感じてる(コンビニで買ったガリガリ君を囓りながらだけど)。
海のそばに住むことで得たものはたくさんあったけれど、失ってしまったものも同じくらい多い。中でも、なんでも繰り返し残念だと感じるのが「海が見たい」と思うあの瞬間が生まれるその時が、生活の中から消え失せてしまったことだ。
自動車の免許を自分のものにして勢いでレンタカーを借りてしまったあの日あの時むかった人工海岸や、苛酷すぎるスケジュールの仕事の明け方メシ屋を探しているうちについてしまったあの漁港、そして何も話すことのなくなったデートで無言のまま向かった明るくまぶしい海岸。海の近くに住むってことは、そうした時間を手放すことだということを、僕はぜんぜんわかっていなかったんだな。
雨の日。僕は海岸の近くから都心まで仕事に向かう。朝起きて天気を調べたりする習慣のない僕は、玄関を開き雨が降っていれば傘を持ち、降っていなければ傘は持たない。
だけど、家の近所と都心との天気はちがうことも多い。だから僕は晴れた都内を傘を持ってうろうろしたり、地下鉄の出口から人々が当たり前のように傘を差して出て行くのを呆然と見送ったりすることになる。たいへん不便だ。
実のところ、こうした瞬間に僕は、郊外に住んでよかったなあとしみじみ感じている(ような気がする)。なにか得をしたような気持ちになる。この気持ちはうまく説明できたことがないのだけれど、まあ、要するに僕は郊外に住むことで不便さを手に入れていたわけだ。晴れているのに傘を持ち歩く不便さや、雨がざあざあと降っているのに傘を持っていない不便さ。言い換えればそれは、晴れた日に傘を持ち歩く自由だったり、雨の日に傘を持っていない自由だったりもするのだろう。
海が見たい、ときみに言われる機会を失ってしまったけれど、かわりに晴れた日に傘を持ち歩く自由を獲得したってわけだ。
これはこれで悪くない。