• 第19回大会テーマ「ハイスクールララバイ」

『僕と欽ちゃんとYMO』
執筆:鈴木正人




 YMOという偉大なるバンドがありましたが、僕は恥ずかしながら10代、20代を通して、ほとんど興味の対象だった事がありませんでした。しかしながら、周りのミュージシャン達にはフリークと呼べるほどのファンが大勢いて、(それこそ小学生のときから大ファンでした、という様な)酒席なんかでその話で盛り上がってくると、こちらは全く話について行けなくなっちゃって、結構寂しい思いをした物です。

 そんな事もあって、30過ぎてからCDを買い漁ってみたらすっかりはまってしまったという、何とも格好悪い話なんですが。

 なにしろ、ローティーンの頃のお気に入りの音楽といえば、BBキングにアートブレイキーなんて言っちゃって、子供にあるまじきフケ専趣味だったもんで、「あんなピコピコいってるゲーセンみたいな音楽、ちっともわかんねい」なんて粋がってた訳です。(ゲーセンは通ってたけど)

 話は変わりますが、僕が小学生当時の各家庭の教育指針として、ドリフ肯定派と否定派というのがありまして、我が家は完全なる否定派でした。そして、否定派の家庭では、「志村はだめだが萩本はゆるす」という不文律がまかり通っていまして、早い話、欽ドン!しか見せてもらえなかったんだな。そこに登場してきたのが、件の「イモ欽トリオ」だったのですが、にこやかに「ハイスクール ララバイ」を歌う長江健次氏の後ろで、シンセのパッチを挿してるふりをしてる山口氏とドラム叩きまねの西山氏が、当時人気の絶頂にあったYMOを模しているという事は、さすがに小学生だった自分でも理解はできました。というよりも、本家にあまり興味がなかった小学生からすると、「いも欽」が僕にとってのYMO的な物の最大のイメージだった様です。いや、そんなことは20数年間考えた事も無かったのですが、我がリトル・クリーチャーズが細野晴臣氏のトリビュート盤でその「ハイスクール ララバイ」を演奏する事になった時に、あらためて甦ってきたんです。

  因みに、小学生当時の僕には、それは結構お気に入りの曲でした。20数年ぶりに聞いても、良く覚えてましたから、一緒に歌えるぐらいに。いや、平手打ちの(ハンドクラップの)タイミングなんか、鮮明に画が浮かんできますもの。

 どうやら音楽的自我に目覚める年頃になる前に、実はすでにYMO的な物の影響下にはあったという事でしょうか。

 今回録音した我々のカバーバージョンにおいては、二世代程前のハイティーンの主人公(フツオ)を想定して書かれただろう歌詞を、AOR風のアレンジに乗せて三十路半ばの男が歌うその倒錯性に、やっている本人達もなんとも言い様のない感慨に襲われました。

 でもそんな歌詞になぜか共感できるんです。「100%片思い」って、今時(昔もか)誰も言わないですが、高嶺の花のヒロインにアタックして失敗するっていうのは、男ならだれでも共感できる所ではないでしょうか。まれにそんな失敗とは無縁な奴もいますが、そういう輩には、この歌の持つ密かな普遍性と切なさに気付くことはできないでしょう。

 因みに、歌の中で「ついては週末のデートなど。」という行があるのですが、我々のバージョンにおいては、「ついては週末にベッドなど。」と聴こえてしまってしょうがありません。これは、歌い手が意図的に年齢考証をし直したのか、もしくは俗にまみれてしまった自分の精神状態が引き起こす幻聴なのかは、定かではありませんが。


執筆:鈴木正人(ベーシスト、アレンジャー、プロデューサー)
1987年、高校在学中にLITTLE CREATURESを結成。その後、渡米し、バークリー音楽院に入学。帰国後、バンド活動と平行して、ベーシスト、プロデューサーとしても活動。人と人、音と音を繋ぎながら、シーンにおけるキーパーソンとして、その存在感を高めている。2006年11月22日には、自身初となるソロアルバム「UNFIXED MUSIC」をintoxicateレーベルよりリリース。
■http://www.tone.jp/


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  • 第19回大会テーマ「ハイスクールララバイ」

『いつだって、高校生になりたい。』
執筆:御堂筋御豆sr




 僕が通っていた高校は、規則があるようでなかった。
洋服だって髪型だって好きなものを選べる。モッズのリバイバルがきているとなれば、丈の短いツイードのパンツに幅が短いサスペンダーをつけて、フレッドペリーのポロシャツを着ている僕。グランジがきている友人はボロボロのニットカーディガンにボーダーのロングティー。もちろんジーンズは破れていて。教室にアコースティックギターなんかも転がっており、流行歌を歌ったりする。

 お昼だって近所のキャフェテリアで済ますことができる。キャフェで話が盛り上がったら、「生物は出なくてもいいか」つってお昼休みを50分ほど延長することだってできた。

 茶道部の部室である茶室は、僕たちの喫茶室になっていて、放課後にお茶を飲みながらタバコをプーカプーカさせて、あるときそれを先生たちが嗅ぎ付けて見回りにきたことだってある。運良く喫煙の現場は取り押さえられず、「蚊取り線香の煙です」とばれる嘘をついたりしていた。


 5年前くらいに友人たちと流行した遊びがある。それは「胸キュンしりとり」というもので、「胸キュン」言葉でしりとりをするのだ。僕のボキャブラリーは、ほぼ高校の情景によって形成されている。久しぶりにすこしだけ、1人でやろうと思う。

席替えでへこむ
向こうの席がよかった
タイツ
通学バス
澄みきった空
来週会おうね
熱が出て早退した女の子
恋煩い
石投げ
ゲームセンター
体育着
ギックリ腰の先生
一時間目
メイクラヴ(はじめての)
ノートをとる
ルーズリーフ
冬休みに電話
笑いでいっぱいの教室
通学路に浮かぶ月
キーンコーンカーンコーン


執筆:御堂筋御豆sr(編集者)
春が好きか嫌いかと言われれば、好きなんですが、花粉のせいか嫌いになることもあります。最近楽しかったのは、小田島等君がストーリーを書いた『2027』というコンセプチュアル本と、手に入れて2年も経ったのにほんとんど聴いていなかったRIP SLYMEの『GOOD JOB!』というベスト盤です。今年の頭にキャプテンストライダムの渋谷公会堂用ブックレットを作りました。今年の秋に『KINO』という季刊誌で、まるまる音楽についての特集を編集する予定。本当は小説を書きたい。


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  • 第19回大会テーマ「ハイスクールララバイ」

『自分という絵の額縁』
執筆:batayam




 「3バカトリオ」と呼ばれていた頃、世界はすこし、くすぐったかった。


 朝の教室のベランダで春の陽射しとお弁当を食べる。空から零れる光のふりかけが米の粒をきらきらさせる。まぶたは瞳のくちびる。まばたきしながら光を食べる。消化してゆく胸の器官。朝の光は蜂蜜のよう、夜の光は金平糖。高校時代はご飯だけでなく沢山のことを吸収していた。

 「3バカトリオ」の2番手として、お裁縫をすれば針の数だけ穴が空き、化学の実験では前髪を燃やし、数学の時間はチョークが飛んできて廊下にいる時間のほうが長かった。自分は本当にバカなんじゃないか…と心配しかけた春の終わり、英語のテストでビートルズの歴史が出題され、結果は82点。その日「3バカトリオ」は解散した。

 高校の屋上からビルの波間に富士山が見えた。「キミの文章は何も伝わらない。」国語の先生の鋭い言葉が今でも背骨を支えてる。「時間がかかってもいいから描きあげてごらん。」待っていてくれた美術の先生。あの頃、屋上から見えた富士山は電車でみるよりも大きく見えた。電車から今でも富士山は見えるのに、大人になるにつれて自分が額縁より小さくなってしまいそうで情けなくなるんだ。


 「3バカトリオ」と呼ばれていた頃、きちんと叱ってくれる人がいて、世界はすこし、くすぐったかった。叱られてもどこか嬉しかった。大人になってしまった今、自分で自分を叱れるように、いつまでもバカでいたいと願うんだ。「キミの文章は何も伝わらない。」でも「時間がかかってもいいから描きあげてごらん。」


執筆:batayam(ばたやん)
詩・文・絵・写真・デザインする人。/ 生きているから想うんだ、毎日に魔法をかけていこう。「キミがボクのボタンを盗んでくれたらいいのに。」「靴下と手袋はどこか似ている。」真夜中の子供、ばたやんの宇宙への落書き。お寝しなにご賞味下さい。『毎日に魔法をかけていこう』 http://www.berry-records.com/


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『ララバイの瞬間』
執筆:細馬宏通




 ララバイ、なのだから、子守唄であるはずなのだ。



 でも、ちっともそれらしくなかった。耳元でハエがうなるようなシンセサイザのメロディ、ハンドクラップ音に合わせて平手打ちの振り付け、歌に入る頃にはそれが往復ビンタになる。むしろ、寝る子を起こすように始まった。

 歌詞にも、およそ子守唄らしいところはない。おやすみもねんねんころりもハッシャバイもない。隙あらばチョークを投げつけるようなことば。とびきり。感電死。100%。1か0か、さもなくば読まれずに破かれることば。

 にもかかわらず、曲の緊張が一瞬黄昏れる気がしたのは、「ララバイ」ということばに細野晴臣がつけた、メジャー7の響きのせいだった。マイナーコードで構成された和音進行の先にわずかに開いた夢への隘路。廊下で振り向く顔も、落ちる夕陽も、その狭い隙間に向かって一気に吸い込まれていく。



 ララバイはふつう、決定的瞬間をもたないものだ。ララバイとは現実を寝かしつけて夢へと誘う歌のことであり、歌による入眠の儀式である。赤ん坊を揺するように、メロディを揺すり、歌で夢へと滑り込む。現実が眠りへと転換する決定的な瞬間があるわけではなく、歌が進むうちにいつのまにか眠っているという仕掛けだ。

 夢から醒めるときには決定的瞬間があるが、眠りに入るときには決定的瞬間はない。だから夢から醒める「夢オチ」(あれはむしろ「醒めオチ」というべきである)ということばはあっても、「眠りオチ」ということばはない。

 ところが「ハイスクール ララバイ」には、決定的瞬間がある。あのメジャー7の響きだ。書生じみた詰め襟姿の恋のことばが、「ララバイ」のかけ声で、コテンと夢へと裏返る。



 「あ、夢だった」というのが夢オチだとすれば、「ハイスクール ララバイ」は、「あ、夢になった」という眠りオチの歌。

 新しい電子音とともに奏でられる、その入眠の確かな感覚を、「テクノ」ということばとともに思い出す。


執筆:細馬宏通(滋賀県立大学人間文化学部助教授)
絵はがき片手に街をうろつく日々。もうすぐ「絵はがきの中の彦根」(サンライズ出版)が出ます。
■http://12kai.com


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『言葉のキレは蜜の味』
執筆:水島己



高校のころ、同じ学年に、1年間で23人フッたという噂の伝説的な女の子がいた。

 すごく目立つというわけではないが、小柄で色白、ボブカット、人なつっこい笑顔が素敵な、授業中だけはメガネをかけている……、要するに10代男子の妄想をドライブする要素をフルオプションで満たしているような娘だった。

 それにしても23人もどうやってフッたんだろう。高校3年の夏休み、駅前で英会話のビラ配りのバイトをしながら、友人と2人で議論していた。友人はその女の子と同じクラスで、例外に漏れずその娘のことが気になっている様子だった。ぼんやりとビラ配りを続けていると偶然、まさにその娘が歩いていた。100m先でもはっきり分かる。

 俺、ちょっと話してくるわ。友人は興奮気味にその娘のところへ走り、5分ほど話し込んで嬉しそうに戻ってきた。休日はどう過ごしているか、卒業後の進路はどうするのか、今つき合っている人はいるのか……、他愛も無い話だが、学校ではない場所だからこそ、普段話せないようなこともいろいろ聞けたらしい。

 友人はその後も、ニヤニヤとその会話を脳内で反すうしている様子だった。そして10分ほど後、突然叫んだ。

「あっ……、俺いまフラれてた!」



 僕が連想するのはこういうことだ。

 伝説的な殺し屋剣士と悪徳商人が、深夜の町はずれを歩いている。すれ違いざま、剣士は眉も動かさず腰の妖刀をぬらりと抜き一閃。商人は心地よい風が吹いたな、と思い、三十間ほど歩いたあと突然まっぷたつになる。

 見事な切れ味だ。



 先日、とある地方の有名な小料理屋に行った。数席のカウンターだけの小さな店を、京都人のご主人が一人で切り盛りしている。

 メニューはすべておまかせで、季節の野菜を繊細にミニマルに仕立てた料理は、驚くほど美味しかった。

 そして料理もさることながら、ご主人の軽妙なおしゃべりが抜群に楽しい。その時期に旬な野菜の扱い方、お店で使っている包丁の種類についての講釈、お店で出す器を職人に頼んだら他の店の主人が真似をしたという笑い話。こちらのどんな問いかけにも、必ず話を広げて投げ返してくれる懐の深さは、料理さながらに職人芸だと痛感させられた。

 決して安くないお勘定を支払って、十分に腹も気持ちも満たされたまま夜道を歩いた。主人との楽しい会話を思い返しながら、10分ほど歩いて、突然気がついた。

 あっ……、あれは全部自慢話だった!

 

 斬られて心地よさすら感じさせる甘美な言葉がそこにあった。



執筆:水島己(風待茶房 編集)
エディター/ゲームデザイナー。花粉症。ソウルと東京を往復しつつゲームを製作中。ソウルは花粉はあまり無いのが嬉しいですが、黄砂がひどい。逃げ場所が欲しいです。


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「ハイスクールララバイ」
作詞:松本隆
作曲:細野晴臣
編曲:細野晴臣
発売:1981.8.5


『80年代学園ラヴソングの先駆』
執筆:葛飾ホックニー


イモ欽トリオのデビュー曲「ハイスクールララバイ」。この曲は、1981年に始まったバラエティ番組「欽ドン!良い子悪い子普通の子」(フジテレビ系)のレギュラー、ヨシオ役の山口良一、ワルオ役の西山浩司、フツオ役の長江健次の三人が、コントそのままの学生服の衣裳で、どのテレビ局のどの歌番組にも出演し、売上150万枚を越すミリオンセラーとなったもの。『ザ・ベストテン』 (TBS系)でも8週連続第1位の快挙を成し遂げている。

企画もの、コミックソングと呼ばれてしまうジャンルの楽曲は、実は自由な遊びなぶんだけ楽曲がすぐれ、詩のおもしろさに仕掛けられた、純粋なせつなさの成分が胸を打つことは多い。ミス花子「河内のオッサンの唄」(1976年)しかり、細野晴臣作編曲の川上さんと長島さん「きたかチョーさんまってたドン」(1983年)しかり、桑田佳祐作詞・作編曲のアミダばばあ&タケちゃんマン(明石家さんま+ビートたけし)「アミダばばあの唄」(1983 年)しかり。

松本隆は、この歌い手たちのコント上の設定のもつ身体の中心を貫いて、共学の高校生のピュアなラヴソングを書いた。学校一の美少女に恋をしてしまった、どこにでもいるふつうの男の子。彼女の下駄箱にそっ と届けた「らぶれたあ」も読まずに破り捨てられてしまう、あんまりなハートブレイク。どんな気持ちなのかもわからない美少女よりも、男の子の気持ちにフォーカスした歌詞は、アイドル的人気を博したフツオくんの関西弁のセリフもちりばめられて、当時のスクールボーイ、スクールガールたちの胸を、笑顔に包みながらやはりそっと打つのだ。

ほんとうのところ、のちに「Romanticが止まらない」や「スクールガール」(ともに1985年)で松本隆と筒美京平が展開するCCBの世界の前哨戦ではないか、とも思えるこの学園ラヴソング。おそらく「ハイスクールララバイ」のメガヒットがなければ、たとえば秋元康は、「セーラー服を脱がさないで」(1985年)にはじまる一連のおニャン子クラブの"スクールガールのラヴソング"たちを、自信を持って手がけることもなかったのではないか。そんなわけで「ハイスクールララバイ」は、80年代アイドル歌謡のあるラインの先駆的作品となった。

イモ欽トリオはシングルを3曲リリース、すべて松本隆作詞、細野晴臣作曲。3曲目のラストシングル「ティーンエイジ・イーグルス」(これのみ編曲白井良明、1983年)は、フツオこと長江健次の大学受験のために交代した二代目フツオ後藤正をリードヴォーカルに迎え、セールス的にはふるわなかったが、わたしはとても好きな曲だ。ピンクレディー「サウスポー」(1978年)や木之内みどりが主演した映画『野球狂の詩』(1977年)のような女の子のピッチャーと、彼女にはとてもかなわないバッターの男の子の明るいラヴソング。この青空の下のフィンガー5「恋のアメリカンフットボール」(1974年)なみのさわやかさがすてきだ。

松本隆が、はっぴいえんど時代の盟友である細野晴臣と、解散以来、じっくりと組んだ初めてのアーティストは、意外なことに実はイモ欽トリオなのである。松田聖子の「天国のキッス」や「ガラスの林檎」(いずれも1983年)での松本=細野の幸福な共同作業は、「ティーンエイジ・イーグルス」の直後のお話。

「ハイスクールララバイ」をここにとりあげるのは、松本隆さんからのこのかわいらしい曲への愛でもあるだろう、そして、そういったメルクマールな曲だからでもあるのだろう。


執筆:葛飾ホックニー(オーガナイザー/プロデューサー)
「Picture Yourself Sound School #6 Superstar Carnival 俺たちがテレビだ!」というイヴェントを、3月5日(月)から11日(日)までの毎日日替わりプログラムで一週間興行の暴挙に出ます。昨年は、元SALLYリードヴォー カル加藤キーチのワンマンライヴ「加藤キーチ sings SALLY」と、彼のソロデビューシングル『東京バックサイド・ブルース』 (作詞杉山洋介・作曲森若香織)をプロデュース(Picture Yourselfレーベル)。本業は、本名で映画 プロデューサー/ エッセイストをやってます。全芸術にフルタッチ・フルコミットの主義。
■http://blog.livedoor.jp/katsushika_hockney/


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