• 第13回大会テーマ「木綿のハンカチーフ」

『冷汗をふく「木綿のハンカチーフ」』
執筆:YO-KING



 昔、十五、六年前、真心ブラザーズのライブで「木綿のハンカチーフ」をカバーしていた。何でそういうことになったのか全く思い出せないけど、ぼくも、もう一人のメンバー桜井もこの曲を好きだったのはまちがいない。残念ながら、音源としては発表してない。どんなアレンジでやってたんだっけ?あ、思い出した。ステッペンウルフの「ワイルドでいこう」のイントロをつけてたような気がする。

 どっかの倉庫にラインで録ったライブのテープがあるかもしれないけど、聴いてみたいような聴きたくないような・・・・・・。ま。冷や汗かくことはまちがいない。

 ぼくは東京で生まれ育ったので上京したことがない。だけど歌力というものはすごいもので、切なく浸ってしまえるのだ。「木綿のハンカチーフ」により、上京青春物語を擬似的に体験したのだ。しかも小学生のときに。小学生にとってはややませた音楽を聴いていたぼくに、当時、よく父は、ちゃんと意味わかって聴いているのかと尋ねてきた。ちゃんと意味がわかって聴いてたかどうかは今となってはわからないけど、何か夢中にさせるものがあったのは確かだ。音楽を聴くという行為そのものが好きだった。


執筆:YO-KING
'89年、真心ブラザーズでデビュー。
'01年、真心ブラザーズ活動休止後、ソロ活動を開始。
'05年夏、再び真心ブラザーズ始動。
独自の哲学を持ち、日常をうたう38歳。健康で長生きをモットーとする21世紀型ロックンローラー。
【オフィシャルH.P.】 http://www.sma-pioneers.com/yo-king/


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  • 第13回大会テーマ「木綿のハンカチーフ」

『特に汗かきというわけではないんだけど。』
執筆:川端正吾



 ハンカチーフについて、僕は一言ある。こんな蒸し暑い日は特に、だ。ハンカチーフをご愛用のみなさんに是非お聞きしたい。ハンカチーフでホントにコト足りてますか? と。通常期はまだいいですが、どんどん蒸し暑くなっていくこれからの季節、トイレ・汗・汗・トイレ、程度の使用頻度でハンカチの吸水キャパは一杯になりません? 「ハンカチを2枚持つ」とおっしゃる方もいますが、その2枚持たなくてはならないコト自体がハンカチの致命的な欠陥だと思うんですけど。

 それに比べて、手ぬぐいの90cm×30cmというワイドなフォーマットは、「ぬぐいツール」として、本当に良く考えられている思う。トイレで手を洗う。ぬぐう。グラスに結露がびっしりつく。ぬぐう。ほんのささいなことでつい涙を流す。ぬぐう。またトイレで手を洗う。ついでに顔も洗う。ぬぐう。ぬぐう。最近やたらとトイレが近くなった我が身を案じて流した涙をさらにぬぐったところで、まだ1、2回トイレでぬぐえるだけのフレッシュネスが残されているのだ。さらに、1日のしめくくりとばかりに銭湯に行けば、全身ぬぐうタオルとして十分に機能。いざという時には頬被りや鉢巻きなどにも使えて、だらだら生活に喝を入れてくれるなんとも頼もしい相棒だ。そんな我が国が誇るぬぐいツールの最高傑作が、何故にハンカチーフに主役の座を奪われてしまったのか!? 

 明治初期、日本文化が一気に西洋の絵の具に染まり始めた頃、ハンカチはハイカラなおしゃれアイテムとしてもてはやされたんでしょう。まぁ、それは百万歩譲ってヨシとしましょう。おしゃれにそういう変化はつきものですから。僕がなんとも疑問なのは、そのハンカチをもたらした西洋人たちは何故「ニッポンノ テヌグイワ ナンテ キノウテキナンダ! スバラシイ!」ってことに気がつかなかったんだろう、ってこと。当時の西洋人が手ぬぐいのポテンシャルをちゃんと見抜いていたならば、大量に本国へ持ち帰り、きっと西洋のハンカチーフを駆逐していただろうに、、、。だって、向こうの人はハンカチで鼻までかむんでしょ? その手のことに関する包容力は手ぬぐいのほうが断然上ですから。西洋で浸透していれば、逆輸入というおしゃれ方程式に乗っかって堂々凱旋帰国し、今頃日本のぬぐい産業の頂点には、また手ぬぐいが返り咲いていただろうに。惜しい、実に惜しい! 惜しすぎるっ!!

 ハンカチで汗をふきふきする人を見かけるようになるこの季節、ついボヤいてしまうんですよね、こんなこと。あ〜、今日もあつー。ぶつぶつ。


執筆:川端正吾(編集者)
最近は、近日創刊されるおもしろ教材の編集に参加させてもらってます。教えることが一番勉強になる、ということを日々実感。


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  • 第13回大会テーマ「木綿のハンカチーフ」

『ハナチボの呪文』
執筆:永友聖也(キャプテンストライダム)



小学生の頃に、『ハナチボ』という魔法の言葉があった。 これを毎朝登校する前に玄関で唱えると忘れ物をしないというという呪文であるが、 まあなんの事は無い『ハンカチ・名札・チリ紙・帽子』の頭文字を取って並べただけの物だ。(『ティッシュ』では無くて『チリ紙』というのが泣かせるなあ) 魔法の言葉のわりにはあまりに生活感の出まくったアイテムが並んでいるがそれはさておき僕がこの呪文のおかげで小学校時代一度も忘れ物をしなかったかと言うと全然そんな事は無く、実際はしょっちゅうハンカチを忘れてはよくトイレの後に手をビショビショにしていた。 要するに毎朝『ハナチボの呪文』を唱える事そのものを忘れてしまう訳です。

この忘れ物の癖はいまだに直ってなくて、今でも買い物しようと町まで出かけたら財布を忘れていたりする。 車のボンネットの上に財布を置き忘れたまま走り出してしまった事もあった。 他にもライブ会場や練習スタジオに向かう時に何だか今日はやけに荷物が少ないなーなんて思ってよくよく考えてみるとギターを持っていなかったりする事がたまにある。 そんな馬鹿な、と思われるかも知れないが実際にあるのだから仕方ない。 いくら何でもそれじゃあ何の為に目的地へ向かっているんだという話でさすがにそういう時はちょっとショックなのだが、よし、これからはライブの日は玄関で『ギ!』と唱える事にしよう。(ギターの『ギ』ね)

しかし僕が知っている限りこの手の忘れ物の話でいちばん凄いのは、何と言ってもあの長嶋茂雄さんのエピソードだろう。 長嶋さんが最初に巨人軍の監督をしていた頃、当時小学生だった一茂氏を後楽園球場に連れて行った長嶋さん、球場に一茂氏を置き忘れて帰ってしまったらしいのだ。 その後球団関係者からの『監督、忘れ物ですよ』との自宅への電話で気付いたそうだが、うーん。 どこまで本当かは分からないがここまで行くと忘れ物が芸の域に達している希有な例だろう。

とはいえ忘れ物をエンターテインメントにまで高められる人はごく限られているしやっぱり周りにも迷惑を掛けたり何より自分が困るのでここはひとつ21世紀のハナチボの呪文を作らなければならないだろう。 現在、外出の際に必要な物は、えーっと手帳、ハンカチ、目薬、ノート、MDレコーダー、鉛筆、財布、こんなところだろうか。 頭文字を取って『テ・ハ・メ・ノ・M・エ・サ』。うわー覚えにくい。 この呪文を忘れないくらいならそもそも最初から忘れ物なんかしない気もするなあ。


執筆:永友聖也(キャプテンストライダム)
キャプテンストライダムのVOCAL&GUITAR担当。
「風船ガム」のヒットを引っ提げて、7/22(土)広島SETSTOCK'06ほか夏フェスイベント多数出演決定!  9/23(土・祝)、10/22(日)、11/18(土)ebisu LIQUIDROOM・マンスリーライブ開催!!
詳しくはオフィシャルサイトまで。
http://www.captain-a-gogo.com/


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  • 第13回大会テーマ「木綿のハンカチーフ」

『聴き手の“名曲”』
執筆:水野良樹(いきものがかり)


デビューしてから3ヶ月。さすがに以前のように地元の神奈川から仕事に通うのは無理があって、都内に部屋を借り、そこと実家とを往復するという新生活を始めた。「都会の絵の具に染まらないで」と言ってくれる人はさしあたっていないのだけど、東京に出たらちょっとは自分も垢抜けるかもしれないなという淡い期待は、どうやら見当違いだったようだ。

僕らの地元である神奈川の海老名、厚木というところは、田舎でも都会でもない、なんとも中途半端な街だ。新宿や渋谷には小一時間で行けるし、横浜にだって30分もあれば行ける。「母さん、俺、東京に出るよ…」と泣く泣く家を出ても、1時間ですんなり帰って来られるので、あまりドラマにならない。かと言って都会のようにビルが立ち並んだ洗練された街かというと、そうでもない。駅前だけは豪華すぎるほど開発されているが、ちょっと駅から離れたら一面に広がる田んぼ、畑、たまに牛舎。実に中途半端。でも、誤解しないでほしい。住んでみればわかる。その“中途半端”こそがたまらない魅力なのだ。

名曲はいくつもあって、それらは聴き手ひとりひとりがそれぞれに持つ無数の物語に寄り添って、何年も何年も、彼らの心に生き続ける。「木綿のハンカチーフ」を聴いて彼らが思い浮かべる物語に顔を出すのは、歌い手や作り手ではなく、たぶん、彼ら自身であり、彼ら自身の想いだ。都会でも田舎でもない中途半端な、でもやっぱり大好きな地元から、今旅立とうとしている僕にも、自分自身の物語があって、自分自身の想いがある。ミュージシャンになることで、東京に出ることで、諦めなければならなかったこともあるし、変わらなければならなかったこともある。そんな自分自身の物語、自分自身の想いを通して、僕は「木綿のハンカチーフ」を聴き、唄う。そんなパーソナルな物語が楽曲にリンクしたとき、そして楽曲がそんなわがままなリンクを受け入れられるだけの包容力を持っていたとき、楽曲はたぶん聴き手のなかで“名曲”になるんだと思う。

曲を作っていて、嬉しい瞬間はいくつもある。「いいメロディだね」とか「きれいな詩だね」とか、そういう言葉ももちろん嬉しいが、僕は、「自分のことを歌っていると思った」とか「学生時代のことを思い出した」とか「大切な人のことが浮かんだ」とか、そういう言葉のほうがもっと嬉しい。聴き手の物語と自分の楽曲がつながれたとき、僕の曲はたぶん彼らのなかに残っていくであろうし、それが僕の求めることでもあるからだ。 今の僕は聴き手の物語に繋がる、聴き手のための音楽を作りたいと、たいそう生意気にそう思う。聴き手それぞれにとっての“名曲”を作れたら、僕にとってそれ以上のことはない。そして、たぶんそれがつまりは自分が目指すべき“ポップミュージック”なんじゃないかなと、今は思ったりもしている。

執筆:水野良樹(いきものがかり)
「いきものがかり」のリーダー&ギター。「SAKURA」「HANABI」の作詞・作曲を手がける。 今年3月、「SAKURA」でメジャーデビュー。先日、地元・海老名でフリーライブを行い5000人を集客。
http://www.ikimonogakari.com/


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  • 第13回大会テーマ「木綿のハンカチーフ」

『情景の小道具に映す心』
執筆:batayam



なんと絵になる’くちづけ’だろう。
想い出しただけで頬に熱が走る。

NHK朝の連続テレビ小説『純情きらり』で’ビー玉’のような’くちづけ’を観た。
透明の中に色がある。純度の高い硬さがある。


食堂に置いてあるピアノの前で、ふたりが椅子に座り話している。
親に夢を反対され落ち込む達彦に「これから、ずっと味方になる。」と告げた主人公の桜子は 達彦のかぶっている”白い帽子”の縁をすっと右手でひっぱり、男の子の瞳を(観客の視線を)帽子のひさしで目隠しする。
そして頬に’くちずけ’た。

もとはといえば、その”白い帽子”を達彦にあげたのは彼女である。 達彦が夢をあきらめようとした時に、秘めたる’想い’をかぶせてプレゼントした帽子。 結局、(2006/6/9までの放送分では)音楽をあきらめ実家の跡継ぎになると決めた達彦であるが、 今なお彼の部屋に存在している”白い帽子”が達彦の背景で揺れている。

実は、このドラマの中で、恋の小道具に’帽子’が登場するのは2度目である。
以前、主人公の桜子と恋に落ちた斉藤先生との間で”白い帽子”(こちらは女物の帽子)が、ふたりの間ですれ違ったことがある。 桜子はその’帽子’に触れることはあったが、彼女の所有物にはならなかった。でも、恋として一瞬の幸せがあった。 そのことを小道具の’帽子’がちゃんと描いている。

帽子はかぶっている人物が身に纏い装うものでありながら視線を隠すものでもあり、恋の小道具としては非常に興味深い。 このドラマを観ていて、自分の詩に今度’帽子’を使ってみようと想ったけれど、こんなにネタバレしてしまってはもう使えないかな。 そこをあえて想像を超えるような’帽子’を描いてみるのも面白いかもしれない。


最近出逢った情景の小道具で他には、藤田嗣治展で観た’磁石’と’はさみ’がある。
『アトリエの自画像』(1926)やいくつかの作品に描かれている’磁石’と’はさみ’が、30年のちの作品『(すぐもどります)蚤の市』(1956) にも描かれていると解説があった。 また『自画像』(1921)には小さな時計があり蚤の市では豪華な時計になっているというのも何か隠されていると想う。

『木綿のハンカチーフ』で女の子が欲しかったのはハンカチーフそのものじゃない。
”白い帽子”はただの飾る帽子じゃない。

…考えていた。

自画像から30年経って蚤の市を催し’JE REVIENS DE SUITE(すぐもどります)’と描いた画家の情景。隠されている秘密はなんだろう。 藤田嗣治展ご覧になって’磁石’と’はさみ’の秘密を解明した方、こっそり教えてください。


執筆:batayam(ばたやん)
詩・文・絵・写真・デザインする人。/ 生きているから想うんだ、毎日に魔法をかけていこう。「アンリ・カルティエ=ブレッソンの記憶 」「ボクの鼓動を試聴してもいいよ。ってゆってみて。 」真夜中の子供、ばたやんの宇宙への落書き。お寝しなにご賞味下さい。
『毎日に魔法をかけていこう』 http://www.berry-records.com/


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  • 第13回大会テーマ「木綿のハンカチーフ」

『形而上的ハンカチーフ』
執筆:水島己



 その昔、ファミコンで『ドラゴンクエスト』みたいなゲームをやると、序盤では「もめんのふく」や「こんぼう」のようなしょぼい装備が定番だった。でも冷静に考えてみると、「もめんのふく」だけを着てモンスターと戦うなんてあまりに無謀すぎる。せめて電話帳を服の下に仕込むくらいの工夫はあっていいと思う。当時そこまで考えが及ばなかったのは、ひとえにグラフィックの描写がシンプルだったからだろう。「もめんのふく」というのはあくまで概念上の装備であり、その名前には「なんかしょぼい」という以外の大きな意味は無かったのだ。当時ゲームで遊んでいた人たちは、その辺をなんとなく想像で補完していたのだろう。

 先日、ソニーの「プレイステーション3」や任天堂の「Wii(ウィー)」といった新しいゲーム機の価格やスペックが発表されて話題になっていた。「プレイステーション3」やマイクロソフトの「XBOX360」のような次世代ゲーム機ではマシン性能の向上により、立体に描かれたモノの表面の光の反射具合をいい感じに表現し、素材の質感までリアルに描写できるようになった。つまり「もめんのふく」の見た目を、文字通り木綿っぽくできる時代になってきているのだ。

 ゲームの開発者がグラフィックのクオリティに大きな関心を持つのは、「見た目が綺麗だと人目を引く」という以外にもあるようだ。例えばロールプレイングゲームのように主人公が大きな世界観のなかで生活し、成長していくゲームであれば、画面がグゥの音も出ないほど美しいと説得力が増し、より深くゲームへ感情移入することができる。

 ただその一方で、「細かく描くほど現実との矛盾が大きくなり、逆に思い入れが少なくなる」という考え方もできる。例えば、以前とある潜入モノのゲームをやっていたとき。冒頭で敵の基地に潜入し、ボスからの指示を無線で受けながら、しなやかに足音一つたてず歩いている。無線からは、自分が置かれている状況や物語の背景を覗わせるメッセージが逐一入ってくる。非常に自然で上手い演出だ。一通り会話が終わった後で、ふと「困ったときは『セレクトボタン』を押して、無線で呼びかけてくれ」というメッセージが入り、突如として「ゲームをやってるんだ!」という現実が流入してくる。これは「もめんのふく問題」と言えるかもしれない。

 結局は「ゲームで遊んでいる」という現実は切り離せないわけだから、どこかで割り切る必要があるのだが、この問題はこれまで以上にゲーム開発者を悩ませることになるだろう。ただでさえ開発コストは増える一方なのに、うかうかしてるとゲームがどんどん肥大化してしまう。「『もめんのふく』の下に電話帳を仕込むシステム」なんて考え出したらきりが無いのだ。

執筆:水島己(風待茶房 編集)
エディター/ゲームデザイナー。ゲームデザイナー。ネットゲーム制作のため、韓国によく出張してます。ソウルは涼しく夜まで明るくて、屋外飲みには最高の季節です。


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