• 第12回大会テーマ「君に、胸キュン。」

『(無題)』
執筆:曽我部恵一



「君に、胸キュン。」はぼくが小学校のときに買ったシングルだ。
YMOってあんまり好きじゃなかったぼくだけど、この曲は大好きだった。
だから、なけなしのお小遣いでシングル盤を買った。
田舎のレコード屋でも、このシングルは売っていた。すっごく売れてたからね。

そういえば、このリリースのとき、YMOの三人は「笑っていいとも」に出てた。
ジャケット写真と同じモヘアのセーターを着て。
やわらかくカラフルなそのイメージが、子ども心にぐっときた。そのころはテクノとかどうでもよくって、ただ素敵なものが好きだったのだ。
この曲はとても素敵だった。キラキラしてて優しくて、なんか華やかだった。
(B面の曲については、「ヘンな曲だなあ」と思い、あまり聴くこともなかった)

ぼくはこの曲の、♪伊太利亜の映画でもみてるようだね〜、ってとこがとにかくいちばん好きだった。
イタリアの映画という、未だ観たこともない代物に対して、そしてそれがラブ・ソング(プラトニックね)のなかで歌われていることに対して、ものすごく微 妙なエロティックさを感じていたのだった。
あと「ね〜」と伸ばすところ。それに「キュンッ」というのが、歌手の人が歌ってる感じが気がしなくて、ちょっと気持ち悪くて良かった。

去年、この曲のカバー・ヴァージョンで歌わせてもらった。
ずっと好きな曲だから、レコーディングはすぐ終わった。これまでも心の中では歌い続けてきたのだから。
それはそうと、ぼくが歌うとこの曲はあんまり気持ち悪くなかったなあ。


執筆:曽我部恵一(ミュージシャン)
全国ツアーが終了したのもつかの間、なんと今度はショップをオープン!?
現在、ニューアルバムを制作中(秋頃発売予定)。
http://www.sokabekeiichi.com/


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  • 第12回大会テーマ「君に、胸キュン。」

『歌舞伎町で逢いましょう』
執筆:林和弘



 初めてアルコールで記憶をなくしたのは、大学時代、バイトをしていたレンタルビデオ店の事務所で開催された飲み会だった。

 いま考えてもヒドい話だなあと思うのだけど、その日、僕たちは「下町のナポレオン」なんかを飲みながら、赤ら顔のまま交代でレジに立っていた。そして、気が付いたときには店の閉店時間はとっくに過ぎ、僕は事務所のソファに倒れていた。

 それでも20代の頃はなんとかなっていたのだが、30代に突入した瞬間、いきなり、ものすごい勢いで酔っ払うようになった。

 先日も、とあるマンガ家さんの新居で飲みながら取材中に爆睡、気が付いたときにはリビングのソファに倒れていた……。


 その日、僕は新宿で10歳以上年下の女の子と飲む約束をしていた。

 彼女はエロかっこいい……というよりは、むしろストレートにエロエロな女の子で、平静を装いつつ、僕の心臓はバクバクだった。

 東口のスタバで待ち合わせたあと、ネットで調べまくった上に下見までした『LEON』に載ってそうなお店で食事。ひたすら飲むことで緊張感を追いやりながら、日付も変わろうかという頃、なんとなくいい雰囲気で歌舞伎町のカラオケボックスに流れた(BGMはジュリーの『背中まで45分』)。

 しかし、この辺りから、風景に紗(しゃ)がかかってくる。

 断片的な記憶を繋ぎ合わせると、とりあえずフリッパーズ・ギターと岡村靖幸とオフコースを歌いまくっていた。男子校出身で暗黒の10代を過ごした僕は、「この人は自分の理解者に違いない!」と思うと、とことんトゥーマッチな理解を求めてしまう。このときも歌舞伎町のカラオケボックスで、編集長自ら雑誌の最新号を手に「このビジュアルには、こんなメッセージが込められている!」とか「自分たち以外のゲーム雑誌は、みんなアホだ!」みたいなことを熱く語り、彼女は彼女で、僕の知らないアニソンを歌いまくっていた(ように思う)。

 薄ぼんやりとした記憶の中で、ひとつだけ、鮮明に覚えている瞬間がある。

 それは、僕が『恋とマシンガン』だか『君に、胸キュン。』だかを歌い終えたとき。パラパラと歌本をめくる手を止めて、彼女は言った。

「わたしも、ハヤシさんのこと、好きですよ」

 柄にもなくプラトニックな僕はタクシーで家に帰り、そのまま三日酔いで寝込んだ。


執筆:林和弘(編集者)
ゲームバラエティマガジン『コンティニュー』編集長。絶賛制作中の第28号は6月17日発売です。
http://www.ohtabooks.com/continue/


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  • 第12回大会テーマ「君に、胸キュン。」

『妖怪ポップ』
執筆:永友聖也



僕は子供の頃から人一倍妖怪が好きだ。
最近では友達を誘って『妖怪の会』を作り、そこの会長をやっている程だ。
生まれ育った宮崎県の田舎町の、実家の周りの風景が水木しげるのマンガに出て来る景色と良く似ていたのがキッカケだと思う。 夕方の暗くなる時間帯になると、毎日のように裏山の竹ヤブの中に分け入ってジッと妖怪らしき声がしないか聞き耳を立てていた。 水木さんの妖怪辞典に、『鬼太郎の妖怪ポストは、カボチャやなすをくり抜いた形で畑に紛れ込んでいる事もある』などと書いてあったものだからそれを信じて他人の畑に忍び込んだ事も一度や二度では無い。

さすがに最近は他人の畑を捜索する事は無くなったが、それでも『オッ、何か居そうだな』と感じる場所を見つけるとついつい立ち寄ってしまう。 自分のプロフィールに『趣味・墓場の散歩』と書いて色んな場面で誤解を招いたりもした。

そんな僕ではあるが決してオカルト主義者では無いし、第一いわゆる霊感というやつは全く持ち合わせてないのだ。 むしろ霊的なものになどできれば一生出会いたく無いもんだと思っている。だって恐いんだもん。 この辺なかなか理解してもらえないのだが僕の中で妖怪とオカルトは全然違うのだ。

何故妖怪にこれ程胸がキュンとなるのだろう。
うまくは言えないのだが、妖怪と、同じく僕が好きなポップミュージックとはその有りようがとてもよく似ている気がする。 どちらも言葉では表現できない感覚を表現する存在で、その言い当て方が僕にとっては何だか非常にしっくり来るのだ。 例えば『べとべとさん』という妖怪が僕は大好きなのだが、これは夜道を歩いている時にいつの間にか後を着いて来る妖怪だ。 はっきりした姿は持っていない半透明の妖怪なのだが、これなどは一人で夜道を歩いている時の心細い感じを非常によく表現していると思う。

大げさに言うと、妖怪を感じると言う事は人間が持っている根源的な喜び、悲しみ、怒り、それを共有するという事だ。 『あーわかる』ってやつ。これは優れたポップミュージックと全く同じだ。 妖怪の会会員にミュージシャンが多いのも偶然では無いはずだ。(知り合いのミュージシャンを無理矢理誘っているだけかもしれないが) 大昔から伝わっている妖怪について調べていると、『あー、昔から人間の感覚ってそんなに変わって無いんだなー』と思わされる事もしばしばである。 僕が墓場を散歩したり他人の畑に分け入ったり(すいません実はこないだやりました) するのもすべては妖怪の秘密を探ってポップミュージックに応用するためなのです。 大目に見てやってください。

執筆:永友聖也(キャプテンストライダム)
キャプテンストライダムのVOCAL&GUITAR担当。6/7に新曲「風船ガム」をリリース。 今夏のフェスイベント出演も続々と決定!
http://www.captain-a-gogo.com/


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  • 第12回大会テーマ「君に、胸キュン。」

『胸キュン。ちょっとGAIZIN視点』
執筆:野中モモ



昨年末から、久しぶりで東京に暮らしている。それまで6年半ロンドンにいた。その間も一年に一度ぐらいはここを訪れていたけれど、腰を据えて体験する日本はやはり新鮮だ。
近所のスーパーに立ち寄るだけでいちいちキュンキュンしてる。
おせち料理におもち各種が片づいたら七草セット、鏡開きでお汁粉用の小豆、間髪入れずに節分の豆が並ぶ頃には既に怒濤のチョコレート攻勢、あっという間にひなまつりでホワイトデー。
いまは土をつけたままの筍が並んで、その傍らにはアク抜きに使う米ぬかパック(一回用)が用意してあるの。
忙しいなあ、高度情報資本主義社会だなあ。
細やかなサービス、無限のバリエーション。それって凄いことなんですよ日本(というか正確には東京)のみなさん!!! 思わず声が大きくなる。
そして先月は、真夏の雲のようなボリューム感でもくもくと咲き乱れる桜の花を、7年ぶりに目にして圧倒された。イギリスにも桜はあるけれど、あんなのはなかなか無い。

昨晩キュンときたのは、フローリストの店先に並び始めた芍薬の花。
もうすべてどうでもよくなるような甘い香りが大好きで、一年のうち限られた季節にしか味わえないものだから、毎年、できるうちにできるだけ楽しみたい。
イギリスでも売っていたけれど、一般的な街の花売りだとバリエーションは、ピンク・赤・白ぐらいだった。そしてそれらは全て「ピアニー」でしかなかった。
しかし先日通りかかった東中野の店には、5,6種類が入荷していて、それぞれに物語を暗示させるいかした名前が示されているのであった。
「白妙」「花やぐら」「湘南」「ポーラウェイ」。それらを好きに組み合わせて「芍薬バイキング」だって。ちなみに「薔薇バイキング」もありました。

YMOの「君に、胸キュン。」に登場するのは、「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」に例えられるようなゴージャス美女。たぶん。伊太利亜の美人女優みたいな。「麗人」って感じ。
そういう優雅で華麗でアダルトで過激な淑女的ビューティーにうっとりするのと同時に、アスファルトの裂け目をひろげて伸びた雑草が花をつけている様にもキュンキュン来ちゃう。
このコラムのために、散歩の途中で見かけた白い花が愛らしかったな、あれどこだっけ、と、あいまいな記憶を頼りにカメラを持ってうろうろしたのだけれど、結局見つからずじまいだった。
日本の5月は忙しい。

執筆:野中モモ(ライター・翻訳・編集者)
ミニコミ誌を創刊するする言い続けて幾年月。訳書『ベン・ショットの英国博覧記』(日経BP社)。
http://www.tigerlilyland.com/


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  • 第12回大会テーマ「君に、胸キュン。」

『advantage Lucyと「瞳のかげり」』
執筆:batayam



「どこが好きなの?」と問われたら
「わからない、ただ、胸がキュンとするから。」 そう答える。

大好きなアーティスト、advantage Lucy が今年、2006年、デビュー10周年を迎えた。

出逢いは1本のカセットテープ(Lucy Van Pelt 『Red Bicycle』 1996※)だった。レコード店の壁に鈴なりのカセットテープたち。その中の1本を、偶然手にしたようでいて、それはやわらかい未来への切符、音楽に魂をだっこしてもらう切符を、手にした瞬間だった。

「なんて、やさしい音楽なのだろう。」

ライブとあれば東西南北どこへでも聴きにいった。今から考えれば、きちんと三脚を立てて撮ればいいものだが、片手斜めにビデオカメラを持ち、身体はライブの演奏に揺れている。撮っている画面も揺れている。 涙をすする音も録音している。それでも、ビデオから音声をMDに入れて毎分毎秒聞いていた。

「Lucyの音楽を聴くとなぜ涙が止まらないのだろう。」

ライブに行けば人目をはばからず号泣し続けて10年間。自己分析しても涙の理由はわからないままだったが、先日、Lucyのメンバーが溺れている子供を池に飛び込んで助けたという話や、ボーカルの女の子が今にも炎上しそうな事故車から血を流している人を救助したことがあると聞き、彼らの奏でる音楽のやさしい理由が、少しわかった気がした。

この人生において、魂がキュンとする音楽との出逢いが2度ある。

中山美穂さんの「瞳のかげり」(1989)、
そして、advantage Lucy である。

※ advantage Lucyは1998年夏までLucy Van Peltというバンド名でした。

執筆:batayam(ばたやん)
詩・文・絵・写真・デザインする人。/ ベリーレコーズ WEB リニューアルに伴い、『毎日に魔法をかけていこう』も、ほんのりパワーアップ!「恋は将棋というよりもどちらかといえばオセロだよ。」 「心の全自動洗濯機下さい。 」真夜中の子供、ばたやんの宇宙への落書き。お寝しなにご賞味下さい。
『毎日に魔法をかけていこう』 http://www.berry-records.com/


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  • 第12回大会テーマ「君に、胸キュン。」

『遠巻きにグルグル回る気持ち』
執筆:水島己



  風待茶房の「風待俺図鑑」というコーナーで、中川翔子ちゃん(しょこたん)のインタビューをさせていただいたことがある。気合いの入った松田聖子ファンである彼女に松本作品の魅力を語ってもらったのだが、インタビュー中、ふらりと現れた松本隆さんに会ったときの彼女のリアクションがすごく印象的だった。喜びとリスペクトを全面に出して「大好きです! 本当に神様です!」と絶叫する彼女に、見ていても気持ち良いくらいの、ファンとしての清清しさを感じたのであった。

 話は飛ぶが、先月末アメリカのサンノゼで開催された Game Developers Conference(GDC)という、ゲーム開発者のための会議に行ってきた。毎年、全世界から1万人を越えるゲーム開発者をはじめとする関係者が集まり、5日間に渡りゲーム開発に関するレクチャーやパネルディスカッション、ハードやツールの展示、ベストゲームの表彰式など、さまざまなイベントが行われるのである。世界中から著名なゲーム開発者も多数参加することもあり、お祭り的高揚感もあるユニークなイベントである。

 日本ではあまり見られない光景なのだが、ヒットゲームを作った人にサインを求めて人だかりができたりするのがおもしろい。たとえ社会的には「オタク」にカテゴライズされてしまうようなおじさん(失礼)など大しても、若い人たちが大きな敬意を持って接している光景は新鮮だ。

 とある有名なゲームデザイナーの知人と一緒にGDCの事務所に道を尋ねに行くと、GDCのスタッフたちがワイワイと集まり、20分くらいの間、サイン会になってしまった。その中でシアトルから来たという青年と話をしたのだが、250人以上いるGDCのスタッフは、全米から集まったボランティアなんだそうだ。彼らのゲームに対する情熱に素直に感心してしまった。

 それに比べると、日本人のゲームファンは奥ゆかしいというか、「好きだ!」という気持ちを全面に出すのが苦手なのかもしれない。以前、自分が少し関わったゲームを展示会に出展していたとき、明らかにそのゲームのコスプレをした女子が、何を話すでもなくただブースの周りを遠巻きにグルグル回っていた。微笑ましくはあるが、罰ゲームじゃないんだから、もうちょっと何かアクションがあってもいいんじゃないかと思ったことがある。

 他人事のように書いてきたが、自分自身もまさにそういうタイプで(コスプレはしないが)、自分が好きなゲームデザイナー、グラフィックデザイナー、ミュージシャンの方々に会ったときに、「いいっすね!」みたいなことが上手く言えず、もどかしく感じることが多い。言葉にすると、冗長になったり白々しくなってしまうような気がして、うまく表現できないのだ。作った本人の前で、その作品への想いを素直表現できるというのはそれだけで大きな才能なんじゃないかとつくづく思う。


執筆:水島己(風待茶房 編集)
エディター/ゲームデザイナー。日本と韓国を行き来しつつネットゲームを制作中。GDC滞在中、以前このコーナーでコラムを書いていただいた上田文人さんのゲーム『ワンダと巨像』が、6th Annual Game Developers Choice Awards(ゲーム開発者が選ぶ今年のベストゲーム)で"Game of The Year"を含む5部門を受賞! この場をお借りしてお祝い申し上げます。


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