日本舞踊尾上流の舞踊家で女優の尾上紫と、松本隆のコラボレーションで生まれた新作舞踊『静』。2007年1月の公演から約1年後、尾上紫さんが、舞踊批評家協会の新人賞を受賞されました。そこで今回の「カフェのお客さま」では、舞台『風林火山』(日生劇場 4月5日〜4月27日)の稽古の合間を縫って来ていただいた尾上紫さんをゲストにお迎えして、伝統的な純邦楽と松本による口語体の詞の融合により高い評価を得た『静』を、振り返っていただきます。突然の作詞依頼の電話、夜の稽古場での舞いの披露など、ドラマチックな経緯で誕生した『静』の誕生秘話、そして二人が切り出した純邦楽の新たな地平や表現の可能性について、たっぷりとお話いただきました。

※『静』の松本隆インタビューも併せてご覧ください。


公演3ヶ月前の切羽詰った電話
静御前というテーマ/夜の稽古場
口語体と三味線のはじめての出会い。
ポップスと舞台芸術/古典に必要な新しい血


1: 公演3ヶ月前の切羽詰った電話

−−お二人の接点はどこだったんですか?

松本

最初のきっかけはね、“まつたけ”(笑)。10年くらい前なんだけど、知り合いが京都で松茸の食べ放題をやってくれて。十数人くらいあちこちからグループで集まったんだ。みんなで山盛りの松茸を食べて。

尾上

そのときは、共作の話などはまだ無くて、かなりプライベートな集まりでした。

松本

その後もうちの奥さんや紫さんのご両親と鎌倉で食事会みたいのをやってて、何度か会っていたんだよね。ずいぶん前から、「いつか詞をお願いします」って言われてたんだ。

尾上

そのときはまだ、自分でちゃんと作品を作ったことが無かったので、どちらかというと逃げていたというか……。踊るだけでも大変なのに、振りをゼロから作るのはとても大変だと思っていたんです。正直言って、20〜30分の作品を作るなんて考えたくも無かった(笑)。でも年齢的にもそう遠くない将来にしなくてはならないなぁ、とは思っていたんですけど……。

松本

それで一昨年の10月かな、電話をもらったんだ。「やることになりましたんで、よろしくお願いします」って。締め切りを聞いたら、3ヶ月も残ってなかった(笑)。

尾上

松本さんとの出会いがあって、初めて詞を書いていただきたい人が具体的に現われて。それでやっと自分の中で、やりたいことの“ふちどり”みたいなものができたんですが、まだ覚悟は決まらなくて……。やるなら自分のリサイタルでやりたいなぁって思っていたんですけど、せめて1年くらいはかけてじっくり企画しなきゃいけないと思っていたので、タイミングを逃してしまっていたんです。

松本

そのわりに……依頼は急だったよね(笑)。

尾上

そうなんですけど、いろいろあるんですよ(笑)。そのころプライベートでいろいろあって、モチベーションを保てなくなっていたんです。それでも私がやらなくちゃならないことは、色んなことを表現していくことだ、という気持ちは変わらず持っていて。「それを創作に活かせないようでは、私は表現者として失格だ!」と思いました。「パーン」って急に。ただ、そう気づいたときには、劇場も日程も決まっていて、チラシを作るために内容をきめなちゃいけない状態だったんです。

松本

大変だ。

尾上

松本さんに思い切ってお電話したときには、もう公演の3ヶ月前とかだったんですが、その日程は自分にとっても過酷だし、もちろん関わって下さる方にもそうだったと思います。でもそのときの私は、ちょっとあり得ないくらいの切羽詰まった感じだったんです。こんな急に言って、引き受けてくれるわけが無いと思って、半ば以上諦めつつ……。でも、それでも引き受けて下さったら、これはもうやらなければいけないと思って。ちょっともう取り憑かれたようにお電話して。そしたら、サラッと「いいよ」というお返事をいただけました(笑)。

−−曲はどうされるか決まっていたんですか。

尾上

その時点で、詞のことしか考えていなかったので、今度は曲を書いてくれる人を見つけなきゃいけないと思いました。その日のうちに、仲間うちで同年代の藤舎貴生さんという方にお願いしたんです。まだその方の曲を聴いたことも無かったんですけど、笛のほかに、三味線やお囃子もおできになるのを知っていましたし、私の踊りや私自身のことも、よくわかってくださっているので、この方ならお願いできると思いました。「詞でひと月、曲にひと月、その後私が20日くらいで振りを作りますから」、と何の根拠も無いのに言ったら、OKしてくださって。その時点ではじめて、「いよいよヤバイことになってしまったなぁ」と思いました(笑)。あまりに思い切って行動してしまったので、本当に自分がどれだけ大変なことにチャレンジしようかっていうのを、分かってないまま頼んでいたのかもしれません。しかも家族にも相談していなくて、お二人に引き受けていただいてから父(尾上流家元 尾上菊之丞さん)に報告したんです。弟(日本舞踊家 尾上青楓さん)には、何も言わなかったんですが、弟と藤舎さんが友人同士で、そこから弟に話が伝わったんですよ。そのとき弟が、「あいつ頭おかしいんじゃないの?」みたいなことを言ってたとか(笑)。まぁ、そう思うだろうなと(笑)。さすがにギリギリに決めただけあって、その後は過酷な毎日だったんですけど……。

−−松本さんも、紫さんでなければ断っていたんじゃないですか。

松本

実はその少し前に、紫さんのお母さんが亡くなられたんだ。彼女のお母さんは、元宝塚のスターで、とっても綺麗な人だった。亡くなるちょっと前に、お母さんと鎌倉でお蕎麦を食べたときに、「紫をよろしくお願いします」って言われてたんで、これは断れないと。どんなに忙しくても、やってあげなくてはいけない。……まぁ、締め切りを聞いて目が点にはなったけど(笑)。

尾上

でも、締め切りより、すごく早くくださったんです。

松本

うん。1週間くらいで書いたんじゃないかな。一番負担なのは、紫ちゃんの振り付けと練習だろうなと思って、そこにできるだけ時間をあげたかったからね。

−−詞をご覧になっていかがでしたか?

尾上

本当に感動してしまって、「私が踊らなくても、これだけ提出してしまえばいいのでは」とすら思いました(笑)。すごく嬉しかったんです。それで、曲を作ってくださった藤舎貴生さんとお会いして、お話をいろいろしてたんですが、詞を見ると余計にプレッシャーを感じました。その後、藤舎さんは、わたしの意見をいろいろ取り入れてくださって、曲を書いていただきました。

2:静御前というテーマ/夜の稽古場 を読む →



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